活動報告
Vol.14 国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)における必須医薬品〜研究・開発への公的支援とその研究成果への国際的に公正なアクセス
NCGMグローバルヘルス政策研究センター研究科長、
早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授
勝間 靖
COVID-19への対応における「国際的な公正さ」
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)について、世界保健機関(WHO)のテドロス・アダノム事務局長は、2020年1月30日、『国際保健規則』に基づき、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」を宣言した。それ以来、COVID-19への対応において、WHO加盟国間の協力を進めてきた。
しかし、必須とされる医薬品へのアクセスをめぐる「国際的な公正さ」の課題が顕在化してきた。そして、アクセスの国際的な格差について、どうして起こっているのか、解消するための国際協力は成果をあげているのか、根本的な解決のために何が必要とされるか、などを検討する必要がある。このことは、持続可能な開発目標(SDGs)の原則の一つである「誰も置き去りにしない」という観点からも重要である。
COVID-19との闘いにおける必須医薬品
医薬品は、診断、治療、ワクチンの3分野に分類することができる。第1に、診断の分野において、当初は、イムノクロマト法による抗体検出法や、ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)法による遺伝子検出法など、体外診断用医薬品(検査キット)の不足とその実施体制が課題として注目された。
第2に、治療の分野において、重症患者に対して、他の疾病向けに開発された既存薬を転用することが進められた。その後、早期の軽症な段階での医薬品として、中和抗体薬の投与による抗体カクテル療法が普及された。それと同時に、新たな経口薬の研究開発とその実用化へ向けた動きが本格化している。
第3に、ワクチンについては、基礎研究、非臨床試験、臨床試験の3つの段階を経て開発されるが、実用化まで数年かかるのが通常である。しかし、大学・研究所や企業による研究・開発に対して、多額の公的資金が投入されてきたことも功を奏して、通常よりも早いペースで実用化が進んでいる。2020年末からCOVID-19ワクチンが実用化されたため、医薬品介入の役割への期待が高まった。ワクチン接種は、感染を完全に予防できる訳ではないが、感染した場合の重症化リスクを軽減できると見られているためである。
COVID-19ワクチンの開発では、不活化ワクチン、組換えタンパク・ワクチン、ペプチド・ワクチン、メッセンジャーRNA(mRNA)ワクチン、DNAワクチン、ウイルスベクター・ワクチンなど、多様な種類が見られるのが特徴である。2021年12月現在、WHOが緊急使用を認めているワクチンは9つある。アストラゼネカとオックスフォード大学のグループ、ファイザーとビオンテックのグループ、ヤンセン(ジョンソン・エンド・ジョンソンの医薬品部門)、モデルナ、ノババックスといった高所得国における5つのワクチン製造のほか、インドのセーラム研究所とバハラ・バイオテックの2つのワクチン、中国のシノファームとシノバックの2つのワクチンである。これらのほか、ロシア、キューバ、中国の他の企業が臨床試験を進めている。こうしたワクチンの研究・開発は、積極的な製薬産業をもつ一部の高所得国と新興国で実施されている。
COVAXファシリティ
COVID-19との闘いにおいて「誰も置き去りにしない」ように必須医薬品を届けるために、ACTアクセラレータが、2020年4月に設置されている。その目的は、ワクチン、治療、診断、保健システム強化の4分野における国際協力の推進である。グローバルな官民学連携の仕組みであり、WHO、世界銀行、ユニセフといった国連とその専門機関のほか、ワクチンについてはGaviワクチン・アライアンスと感染症流行対策イノベーション連合(CEPI)が、治療についてはウェルカム(Wellcome)トラストと国際医薬品購入ファシリティ(Unitaid)が、診断については革新的新規診断薬財団(FIND)と世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)が、開発・製造、そして調達・配布において役割を担っている。
ワクチンについては、COVAXファシリティという試みが進められている。すべての国においてワクチン接種率が、2021年末までに40%、2022年半ばまでに70%を達成させるという目標へ向けた国際協力が進められている。しかし、実際には、国の経済力によって、ワクチン接種率に大きな格差が生まれている。
高所得国と高中所得国は、それぞれの人口の20%分のワクチンを自己資金で予約購入できる。具体的には、58か国とチーム欧州(29か国)に加えて、国連加盟国でない8地域が公式に参加している。しかし、ロシアは未参加である。
自己資金で参加が難しい92の低中所得国と低所得国は、途上国支援枠組み(AMC)をとおして、それぞれの人口の30%分のワクチンを無償で供与してもらえる。AMCは、主に高所得国や国際的な財団などからの出資によって運用されている。2021年4月に「One World Protected」が立ち上げられ、6月に日本がワクチン・サミット(AMC増資首脳会合)を共催した。これによって、18億回分のワクチン(92の低中所得国と低所得国の人口30%相当)の購入に必要とされる83億ドルを大きく超える資金を確保することができた。
ワクチン・ナショナリズム
高所得国は、自国民のためにワクチンを確保しようとして、「ワクチン・ナショナリズム」と批判されることもある。どの製薬企業が安全で効果のあるワクチンを提供できるか予測が難しかったこともあるが、たとえば、カナダは必要以上にワクチン購入の契約を多くの製薬企業と結んでいたことから、国際的に批判された。同様のことは、アメリカ合衆国や欧州連合についても指摘できる。
また、2021年11月以降、オミクロン株の出現によって、ブースター接種の必要性が指摘され、当初は十分に想定されていなかった3回目の接種が進められている。これによって、低所得国はさらにワクチンへのアクセスが制約される可能性が高い。他方、低所得国は、自己資金の不足から、製薬企業と直接に交渉できず、独自にワクチンを確保するのが困難である。したがって、COVAXファシリティからの配布を待つことになる。
しかし、高所得国のワクチン・ナショナリズムのため、製薬会社は、支払い能力に優れた高所得国との二者間交渉を優先する傾向にあり、その結果、COVAXファシリティを経由するワクチン供給が後回しになることも予想される。高所得国は、製薬会社と二者間で協議する際には、COVAXファシリティへの波及効果を含めて交渉すべきではないだろうか。皮肉なことに、低所得国においてワクチン接種が進まないことが、オミクロン株のようなウイルスの変異を加速させており、それがいずれ高所得国を含む地球規模での蔓延につながりかねない。
ワクチン・ツーリズム
さらに、低所得国に住む者の間にも格差が生じている。低所得国における高所得者は、アメリカ合衆国、アラブ首長国連邦(アブダビなど)、モルジブ、インドネシアのバリ島、ロシア、セルビアなどへ海外旅行して接種するという「ワクチン・ツーリズム」を利用することもあった。これらの国は、空港などで予防接種を提供することによって、海外からの観光客を集め、経済の回復に努めている。なお、アメリカ合衆国は、入国にワクチン接種証明を原則として必須にしたので、今は該当しない。
高所得国に住む人びとと、低所得国に住む高所得者が、供給が不足するワクチンへのアクセスが優先的に与えられているのが現状である。低所得国においては、医療従事者を含めて、多くの人びとが、医薬品アクセスにおいて、置き去りにされている現状が懸念されている。
ワクチン外交
低所得国を対象としたワクチン外交が展開されることもある。COVAXファシリティが多国間協力の枠組みだとすると、ワクチン外交は二国間で進められるものである。たとえば、米国やカナダのように、自国が必要とする以上にワクチンを買い占めてしまった国が、それを低所得国へ無償で供与する場合がある。
また、ロシアや中国のような新興国が、自国の国立研究所や国有企業が開発したワクチンを、外交交渉の一環として、高低所得国や低所得国に対して有償または無償で提供することも報告されている。ロシアは、COVAXファシリティに参加しておらず、自国で製造したワクチンを、自国での接種に用いると同時に、「友好国」へ提供している。なお、2021年12月時点で、ロシア製のワクチンについては、データ不足から、WHOは緊急使用を認めていない。
中国は、COVAXファシリティに参加しているが、二国間ワクチン外交に熱心で、「友好国」へのワクチン提供においてコンディショナリティが議論される例も報告されている。従来から、国際協力の枠組みとして「一帯一路」を推進してきていたが、そのなかでパートナー国に対して保健医療分野での支援をより体系的に提供するため、2015年に「健康のシルクロード」構想を打ち出していた。
COVID-19のパンデミックを受けて、中国は自国製のワクチンを一帯一路パートナー国へ提供することを始めた。また、一帯一路から離れている国に対してもワクチン外交を展開するようになった。供給不足が問題となっているなか、WHOが緊急使用を認めている中国製のワクチンが、高低所得国や低所得国におけるワクチン接種率の上昇に貢献している点は高く評価されるべきであろう。他方、台北当局の指摘によると、北京当局はパラグアイに対して、ワクチン提供の条件として台湾との国交断絶を求めたとのことである。これについて、北京当局は否定しており、真偽は不明である。
いずれにせよ、外交交渉の「カード」としてワクチンが用いられることの是非については、今後の議論が必要だろう。将来的には、倫理的なガイドラインをWHOなどで作成し、それにWHO加盟国が合意することが必要かもしれない。
国際的に公正な医薬品へのアクセスへ向けて
COVID-19との闘いにおいて、ワクチンを含めた必須医薬品へのアクセスが重要であるが、寡占市場において、高価格や供給不足が課題となっている。とくに、ワクチンについては、供給不足が顕著である。ここで、いくつかの論点を提示しておきたい。
第1に、これまでの国際的な感染症対策の多くは、途上国に対して高所得国が支援するというパターンが多かった。COVID-19については、国や個人の所得に関わらず、世界規模で同時多発的に感染拡大している。その結果、高所得国は、短期的な視点から、ワクチン・ナショナリズムに陥っているように見える。しかし、高所得国が高いワクチン接種率を誇っても、低所得国で感染が広がるプロセスで懸念される変異株が次々に生み出され続けると、いずれワクチンの効果が保たれず、高所得国も困るのではないだろうか。つまり、中・長期的には「世界のすべての人が安全でなければ、誰もが安全ではない」ということになる。したがって、短期的な視点と、中・長期的な視点との両方を同時に考慮して国際的な公共政策を策定する必要があるだろう。
第2に、PHEICが宣言されてから3か月後には、ACTアクセラレータが設置され、COVAXファシリティが立ち上げられたことは高く評価される。しかし、AMCによる中低所得国と低所得国のためのワクチン配布では、温度管理が比較的容易なウイルスベクター・ワクチンを製造するインドからのワクチン調達に大きく依存していたのではないかと思われる。しかし、実際には、インドにおける感染拡大やそれに伴うロックダウン、先進工業国の輸出制限による原材料の入手困難などによって、このシナリオが崩れてしまった。他方、そのギャップを、中国のワクチンが埋めてくれているとも言える。今後は、途上国でのコールド・チェーンで管理しやすいワクチンを多数の場所から調達して、リスク分散できるようにすることが重要である。
第3に、研究・開発によって得た知的財産権が国際的に保護されるなか、製薬企業が、世界的なワクチン需要の高まりに応じて、供給を増やそうとするとき、一つの方法として、他国にある企業に対して自発的にライセンス供与を実施することが考えられる。しかし、実際には、この自発的ライセンス供与はあまり進んでいない。そうしたなか、とくにHIV/エイズを契機に、強制的ライセンス供与(強制的実施権)も認められたが、製薬企業が存在する国の反対などで、実際には実施が困難である。今後、製薬企業によるライセンス供与を促進し、需要に応じて供給を拡大できるような体制づくりが求められる。
第4に、COVID-19関連の知的財産権の国際的な共有の仕組みとして、技術アクセス・プール(C-TAP)が設置されている。理想的かと思われたが、実際には、製薬企業が参加に積極的でないという事態になっている。大規模な公的資金が投入される際、政府や国際機関はこうした交渉を予めしておくべきかもしれない。
第5に、国際貿易機関(WTO)の知的財産権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS)理事会では、62か国がCOVID-19関連の知的財産権の保護義務の一時免除を共同提案した。これに賛同する国は100か国を超えている。多くの高所得国は反対していたが、米国とフランスが賛成に転じている。知的財産権の保護は、研究・開発を進める組織にとって、その投資を回収するために重要な仕組みである。また、研究・開発の成果を公開するうえで、不可欠な前提である。他方、各国政府や国際機関からの公的資金や、財団などからの研究補助金によって、それぞれの組織の研究・開発が支援され、医薬品の購入が進められており、国際公共財としても位置づけられるのではないかと論じられている。しかし、WTO加盟国のあいだで必要とされる合意に達するのは簡単ではない。
第6に、COVID-19に限定されるものではないが、WHOは、mRNAの技術を中所得国へ移転されるための拠点を設置する構想を進めている。製薬企業の協力を得ながら進めることができれば、顧みられない熱帯病などに対しても、診断・治療・ワクチンの保健医療技術を開発していくなど、現実的な方向性として期待される。
参考文献
● 勝間靖(2022)「COVID-19ワクチンをめぐる国際的な格差〜多国間協力のためのCOVAXファシリティ、先進国のワクチン・ナショナリズム、新興国のワクチン外交―」『ワセダアジアレビュー』No.24.
●勝間靖(2021)「日独が共同で取り組むべきグローバルヘルス・ガバナンスの課題」JDZB ECHO、136号、9月、pp.1-2.https://jdzb.de/sites/default/files/docs/2021-09/echo136j.pdf
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勝間靖「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)における必須医薬品〜研究・開発への公的支援とその研究成果への国際的に公正なアクセス」
ポリシーブリーフ「ポスト・コロナ時代の国際保健外交―日本の戦略を問う」は、当センターが東京大学未来ビジョン研究センターと共同で実施しているグローバルヘルス・ガバナンス研究会(GHG研究会)のメンバーが、今後のグローバルヘルスにおける日本の役割を考える上で検討が求められる課題の論点を整理し、問題を提起することを目的に執筆しているものです。なお、本研究会は、外務省の令和3年度外交・安全保障調査研究事業費補助金(総合事業)を得て実施しています。