活動報告
Vol.10 ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)と健康危機のシナジー
東京女子医科大学 国際環境・熱帯医学講座准教授 坂元晴香
2019年に始まった新型コロナウイルス感染症(以下、COVID-19)は、ワクチン接種や複数の治療薬の開発が進んでいるものの、2022年2月時点でいまだ世界中で猛威を振るっており、収束にはほど遠い状況である。COVID-19は、社会経済活動のあらゆる側面に大きな影響を及ぼしているが、とりわけ多くの人に衝撃を与えたのは、世界で最も効果的なパンデミック対応システム(pandemic preparedness and response: PPR)と強固な医療システムを有すると考えられていた高所得国の国々で、特に多くの死者が出ていることであろう。従来、世界の多くの国々がある意味で「目指すべき」と考えてきた危機管理体制や医療制度が、未曾有のパンデミックの前では全くの無力であることが明らかになった。
危機管理体制と医療提供体制の評価指標の現状
これまで、パンデミック対応を含めた健康危機管理と、危機対応にも資する強固な医療提供体制の整備は、グローバルヘルスにおける最優先課題であった。健康危機管理に関しては、長い間、WHOの国際保健規則(International Health Regulation: IHR)(1) が中心的な役割を果たして、各国はIHRが定めるコアキャパシティを達成するために努力を重ね、またドナー諸国の多くが、各国がコアキャパシティを達成できるよう技術的・資金的支援を提供してきた。さらに、各国はコアキャパシティの達成度について自己評価を行い、WHOに提出することが求められていた(State-Party Self-Assessment: IHR-SPAR)(2) 。このIHRを中心とする健康危機対応のあり方に一石を投じたのが2013年に西アフリカで流行したエボラ出血熱である。これまで感染症対策の名目で莫大な援助資金が投入されていたにもかかわらず、初期でエボラ出血熱の流行を食い止められなかったこと、必要な治療薬やワクチンの迅速な研究開発が行われなかったことなど既存の健康危機管理体制が抱える様々な課題が指摘された。その後、従来自己評価で行われていた各国のIHRへの取り組み(IHR-SPAR)を補完する形で、外部の独立した評価の枠組みである「IHRコアキャパシティ合同外部評価(Joint External Evaluation: JEE)」が導入されることになった (3) 。さらには、WHOのIHRやJEEを補完するものとして、世界保健安全保障アジェンダ(Global Health Security Agenda: GHSA)(4) が導入され、また各国の危機管理能力を評価する指標としてGlobal Health Security Index (GHS Index) (5) も開発され、こうした様々な国際的枠組みが定める指標が、各国のPPR能力を評価する指標として世界的に用いられるようになっていた。しかしながら、例えば、2021年の最新のGHS Indexでは、米国と英国がトップランク、すなわち健康危機に最も備えている国として位置づけられている。実際には、これらの国はCOVID-19で最も多くの死者を出した国でもあり、この評価の妥当性については議論の余地がある。同様に、高所得国の多くがIHR-SPARとIHR-JEEの両方で非常に高い評価を受けていたが、COVID-19では必ずしもこれらの国で対処がうまくいったとは限らず、現在用いられているこれら評価指標に関しては根本的な見直しの必要性が迫られている。
同様に、医療制度を評価する指標には様々なものがあるが、近年最もよく使われている指標としては、Universal Health Coverage (UHC) – Service Coverage Indicator(SCI)が挙げられる (6) 。UHCとは、「全ての人が必要な予防、治療、リハビリ等の保健医療サービスを、支払い可能な費用で受けられる状態」を指す概念であり、SDGsの中でも2030年までに各国がUHCを達成することが明記されている。UHCの達成状況は主に、1)必要な医療サービスが遍く提供されているか、2)必要な医療を受けるための財政的保護の仕組み(financial risk protection)が整備されているか、という二点で評価されるが、前述のSCIは主に前者の1)必要な医療サービスの提供度合いを評価している。すなわち、予防接種や妊産婦健診といった必要な医療サービスが普及していればしているほど、その国では盤石な医療提供体制を有しているという評価である。UHCの概念そのものは、2010年頃から提唱されていたが、健康危機と同様に2013年に西アフリカで発生したエボラ出血熱がUHCの重要性を改めて想起させた。当時、西アフリカの各国ではエボラの流行によりエボラ以外の医療提供にも甚大な影響が生じ、結果としてエボラで亡くなる以上の人が、そのほかの予防可能な疾患で亡くなったとされている。そのため、平時のユニバーサルヘルスケアサービスの提供だけでなく、健康危機への適切な対応のためにも、強固な医療提供体制の整備が必要であり、そのためにはUHCの実現が不可欠であることが改めて示された。2015年にSDGsにUHCが明記されたことで、世界的にUHC達成への機運が高まり、2019年には国連UHCハイレベル会合が開催されるなど、UHCはある種グローバルヘルスにおける「スローガン」的な役割を果たしてきた。しかしながら、実際に各国のUHC-SCIの点数とCOVID-19の被害状況を見てみると、健康危機管理で用いられる各種指標と同様に、UHC-SCIで高い評価を受けた国が必ずしもCOVID-19で満足に対応できていない現実がある。未曾有の公衆衛生危機を踏まえて改めて、危機にも強い医療提供体制のあり方、それを実現するために平時の望ましい医療提供体制のあり方、さらにはそうした体制をどのような指標で評価するのが適切なのか、議論が始まっている。
評価指標とCOVID-19のアウトカムとの相関
各種健康危機管理の指標やUHC-SCIとCOVID-19のアウトカムが必ずしも関係していないと説明したが、両者の関連を分析した研究結果は必ずしも一様ではない。例えば、Tess Aitkenらの研究では、これらの指標の達成度とCOVID-19のアウトカムとの間に関連は見られなかったが、David B Doungらは、少なくともGHSIについては正の相関(指標が高いほどCOVID-19のアウトカムも良い)があることも報告している。(7)(8) また、評価するタイミングやパンデミックの流行段階、IHR-SPARやGHSAの指標全体ではなく個別の指標で見た場合には、相関(指標が良いほどCOVID-19対応がうまくいっている)とする評価もある。また、もう一つの重要な指摘として、COVID-19の影響を評価する場合、単にCOVID-19による症例数や死亡数に注目するだけでは、COVID-19が医療制度に与える影響全体を評価することはできない点が挙げられる。多くの国でCOVID-19によって医療提供体制が停滞し、通常であれば致命的とならないような病気でも多くの人が命を落とした。実際、2022年2月現在、多くの国で超過死亡 (9) が報告されており、その数は米国で約100万人、フランスで12万人と推定されている(10)。また、アジアの一部の国では、COVID-19による一人当たりの死亡者数はそれほど多くないにもかかわらず、超過死亡者数が増加している。これらの国では、COVID-19の対策に多くの医療資源を投入した結果、他の病気への対応力が不足し、過剰な死亡が発生していると考えられる。したがって、COVID-19が医療システムに与える影響を考える場合、COVID-19による患者数や死亡数だけでなく、他の疾患への影響、すなわち超過死亡の観点からも評価することが望ましいと思われる。
健康危機管理体制とUHCのシナジーを高める評価のあり方
では、健康危機管理やUHCの既存指標が世界規模のパンデミックの前では不十分であることが露呈した中で、具体的にこれら指標をどのように改善していけば良いのであろうか。また、より重要なところでは健康危機対応体制とUHCの間の連携を促進し両者が連携することによるシナジー(相乗効果)をどのように高めそれを評価していけば良いのであろうか。Lal Arushらの研究によると、今回のCOVID-19を踏まえて、健康危機対応に偏重していた国、UHCに偏重していた国、両者をバランスよく推進していた国に分類している(11)。例えば、アメリカやアフリカ各国は健康危機対応に偏重していた国として分類されている。例えば、アフリカの多くでは危機対応にこれまで集中的にリソースが投下されてきた。その結果として、COVID-19初期は感染者数・死者数も非常に少なく抑えることができていた。しかしながら、流行が長期化し、問題が複雑化していく中で、脆弱な医療制度では対処しきれなくなってきており、徐々に感染者・死者数が増えてきているのが現状である。また、両者をバランスよく推進してきた国としてアジアの国々の多くを挙げているが、2000年以降様々な感染症の危機にさらされる中で健康危機管理体制を強化しつつ、経済発展の後押しもあり徐々に平時の医療提供体制を拡充させてきたアジア各国が今回のCOVID-19では、少なくとも2022年2月末時点では世界の他地域と比較して相対的に感染コントロールがうまくいっているのは事実である。
健康危機管理体制とUHCの達成、さらにはその両者のシナジーを高めること。言うのは簡単であるが実際にはセクター間連携というのはいつの時代でも困難が伴う。COVID-19の教訓を踏まえつつ、この両者のシナジーを高めていくためには、1)両者の橋渡しとなりうる概念や領域の同定(例えば、柔軟な病床再編というのは平時に必要な医療病床を確保すると同時に、危機時に迅速に必要病床を確保する仕組みづくりであり、両者に関連する領域である)、2)健康危機予算とUHC予算の整合性を高めること、3)“レジリエンス”の概念を両者に含めていくことが指摘されている。特に「レジリエンス」については、先に紹介したLal Arushらの論文では「the ability of national health systems to withstand health shocks while maintaining routine functions」と定義されている。すなわち、単に医療人材や医療資源が豊富にあるのみならず、いかに危機時にそれらを柔軟に運用しつつ、平時の医療サービス提供を継続できるか、さらに危機を踏まえつつシステムそのものがより良い方向に改良されていくことを意味している。こうした視点を踏まえつつ、ポストCOVID-19における危機管理体制、UHCのあり方を検討していくことが求められている。
[脚注]
(1)WHO International Health Regulations: https://www.who.int/health-topics/international-health-regulations
(2)IHR-SPAR: https://extranet.who.int/sph/spar
(3)WHO JEE: https://apps.who.int/iris/bitstream/handle/10665/204368/9789241510172_eng.pdf
(4)GHSA: https://ghsagenda.org
(5)GHS Index: https://www.ghsindex.org
(6)https://www.who.int/data/gho/indicator-metadata-registry/imr-details/4834
(7)https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC7207133/
(8)https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/34608933/
(9)超過死亡とは例年のある時期に想定される死亡者数より多く発生した死亡者数を指す。新型コロナのように何か特定の感染症の大規模な流行が見られた際に、その感染症そのものによる死亡者数と(感染症による直接的な死亡)、それら感染症が流行したことにより他の医療提供体制に影響が波及しその結果として発生した死亡(感染症による間接的な死亡)の双方の影響を測る指標として用いられる。
(10)https://www.economist.com/graphic-detail/coronavirus-excess-deaths-tracker
(11)Fragmented health systems in COVID-19: rectifying the misalignment between global health security and universal health coverage.” The Lancet 397.10268 (2021): 61-67.
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坂元晴香「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)と健康危機のシナジー」
ポリシーブリーフ「ポスト・コロナ時代の国際保健外交―日本の戦略を問う」は、当センターが東京大学未来ビジョン研究センターと共同で実施しているグローバルヘルス・ガバナンス研究会(GHG研究会)のメンバーが、今後のグローバルヘルスにおける日本の役割を考える上で検討が求められる課題の論点を整理し、問題を提起することを目的に執筆しているものです。なお、本研究会は、外務省の令和3年度外交・安全保障調査研究事業費補助金(総合事業)を得て実施しています。