活動報告
Vol.8 国際保健行政と海運:入港中の船舶に対する寄港国の権限と船員の交代問題
東北大学大学院法学研究科教授 西本健太郎
はじめに
2020年2月、クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号における新型コロナウイルス感染症(以下、COVID-19)の発生は、同感染症が世界的な流行の兆しを見せはじめていた時期の日本で大きな注目を集めた。この事案は、多数の乗客を乗せたクルーズ船内で感染症が発生した場合の対応の困難さを示すとともに、入港中の外国船舶内で対応を行う上での国際的な調整に関する課題を明らかにした。また、COVID-19の拡大は、国際物流を支える外航貨物船の運航についても、船員の感染予防対策や感染症流行下での船員の交代の確保という問題をもたらすものとなった。
ウィズコロナ・ポストコロナ時代の国際保健行政を構築して行く上では、このような海上での船舶の往来についても、COVID-19への対応の中で得られた経験をもとに、よりよい国際制度のあり方を議論することが必要である。安定的な海上輸送の確保に利益を有している国として、日本は今後の国際的な議論に積極的に関与していくことが求められる。また、海運をめぐっては船舶の入港拒否の問題がより注目を集めているが(1)、横浜港に入港したダイヤモンド・プリンセス号への対応で得られた日本の経験や問題意識は、今後の国際的な議論の中で日本から発信する意義の大きいものであると考えられる。
入港中の船舶に対する寄港国による感染症対策
国際法上、入港中の船舶については船舶の国籍国(「旗国」)と港の所在国(「寄港国」)の双方が権限を持っている。船舶の旗国が船舶の所在を問わず船舶に対する権限を有することは、海洋に関する国際法の基本的な原則の一つである(旗国主義)。また、寄港国が入港中の外国船舶の内部事項について行使できる権限の範囲には若干の見解の相違があるものの、その影響が港に及ぶ事項について権限を持つことに争いはない。しかし、このように権限が競合する場合の調整について、ルールとして確立したものはない。これは感染症の拡大の防止のための義務についても同様であり、旗国は自国船舶に対して有効に管轄権を行使し規制を行う義務を負う(国連海洋法条約94条)一方で、寄港国は港内に所在する船舶について領域国として一定の義務を負い、人権条約等の適用も受ける。国会における議論において政府の見解としても示されたように(2)、国際法上、関係国のいずれかが一義的に義務を負っているわけではない。
このような状況においては、旗国、寄港国、そして場合によっては運航会社の国籍国といった関係国の間で権限の調整の必要が生じうる。ダイヤモンド・プリンセス号の対応をめぐっては、幸いにも大きな弊害が生じたわけではない。しかし、関係国の間で対応の方針が分かれるなどして調整に時間を要することも考えられることから、重大な感染症の対策措置については、関係間の権限配分を明確にする新たな国際的なルールを設けることが望ましい。世界保健機関(WHO)の国際保健規則(IHR)のレビューにおいても、隔離・検疫措置をはじめとする各種の措置について締約国の責任を明確に定義することを検討すべきとしている(3)。
この問題に関する先行文献では、関係国のうち寄港国の役割を重視すべきことが指摘されている(4)。現実問題として、入港中の船舶に対して具体的な措置を取ることができるのは、船舶が所在している寄港国に限られる。したがって、国家間での調整のあり方としては寄港国に優先的な権限が存在することを規定し、それぞれの関係国がその管轄下の私人・事業者に対して寄港国の措置に従うべきことを義務づけることが有力な方向性である。具体的には、感染症の対策措置として寄港国をはじめとした関係国がとる措置をより明確化する形で、権限の調整をIHRの改正等によって国家間で法的拘束力のある規則として確立するのが最も確実である。しかし、これが困難である場合には、法的拘束力のない標準的な手順等の策定によって、実務的な対応指針を設けるといった対応も考えられる。COVID-19への対応においては、国際海事機関(IMO)が実務的対応についての多数の指針を発行しており (5)、感染した船員への医療提供に関する沿岸国・寄港国への勧告(IMO Circular Letter No.4204/Add.23)などが参考になる(6)。
旗国による感染症対策の強化
船上で重大な感染症が発生した場合には、いずれかの港での対処が不可避であるとしても、ポストコロナ時代の対応としては、船舶の運航に全般的な責任を持つ旗国による感染症対策の強化も図っていく必要がある。これは乗客の多いクルーズ船について特に重要であるが、他の種類の船舶についても同様である。既存の国際法上も、抽象的には感染症対策が旗国の義務に含まれることに問題はないものと思われるが、平常時からの旗国による対策の実効性を図るためには、具体的な基準や対策の実施を確保するための仕組みが必要となる。
日本では2020年11月に海上運送法施行規則を改正し、海上運送法で届出を義務づけている「安全管理規程」に定めるべき事項に感染症防止対策等を追加することで、クルーズ船事業者に対して感染症対策マニュアルの策定・届出を義務づけた(7)。また、日本の外航クルーズ船各社は、作成したマニュアルとその取組みについて日本海事協会による第三者認証を受けている。感染症対策は一定の規則を遵守さえすれば確保できる性質のものではないことから、このように実情に応じたマニュアルの策定による対策体制の確立を求めた上で、第三者認証によりその内容を担保するという仕組みには合理性がある。
このような対策は、海運の国際的な規律の枠組みにも応用可能であり、旗国による感染症対策の国際的な強化の方策としても有力な選択肢である。海上人命安全条約(SOLAS条約)の下では、人的要因からの船舶の安全対策を図るためにISMコード(国際安全管理コード)が採択され(SOLAS条約附属書第IX章)、船舶の運航管理責任者に対して安全管理システムの策定・実施や、安全運航マニュアルの作成等を義務づけている。感染症対策はそもそも船舶の運航安全に関する事項とも考えられるが、このような既存の条約枠組みに明示的な規定を盛り込むことができれば、船舶の運航管理責任者による感染症対策を国際的な規則・基準として強化することができる。
パンデミック時における船員の交代
COVID-19の拡大は、船員の交代をはじめとした船員の処遇に関する問題ももたらした。船員の海上における勤務期間は、海上労働条約により最長で12ヶ月未満と規定されており、契約期間の終了時等には送還される権利を有する。しかし、感染症の拡大により寄港地における交代のための下船が制限されるなどの事態が生じ、船員が長期間に渡って勤務を継続することを強いられる状況も発生した。このような状況は、船員の労働条件・人権の観点から問題があり、船員および他の海事労働者を「主要な労働者(key workers)」に指定し、安全な交代と移動を可能とするように各国に呼びかけた国連総会決議75/17をはじめとして、様々な国際的フォーラムで対応が呼びかけられた。また、国際海事機関(IMO)や国際労働機関(ILO)等の関連する国際組織は、船員の交代・移動に関する感染リスクの管理についての実務的なガイダンス(8)をはじめ、様々な指針を示すことで対応を図った。
この問題は、海上労働条約の下での船員の権利の確保という、以前から存在していたより大きな問題とも関係しているが、各国の感染症対策との関係に限っていえば、帰国のための船員の下船・入国によって生じる公衆衛生リスクを理由とした各国の制限にどのように対応すべきかの問題である。国際法上、外国人を入国させるか否かは一般的に国家の裁量であるとされる。海上労働条約も、自国の港に寄港する船舶の船員の送還・交代について規定しているが、そのための入国は権利としておらず、単に送還・交代を「容易にする」義務があるに過ぎない(A2.5基準(7))。これに対して、IHRは「国際交通及び取引に対する不要な阻害を回避」し、公衆衛生リスクに応じて疾病の国際的拡大へ対応することを目的としているが(2条)、船員の下船は船舶からの「上陸」を含む船舶の「自由交通許可」の一環として扱われるに過ぎず、入港した船舶から船員の下船を認めない場合や、交代要員の入国が認められないなど、船員に固有の問題が発生することは意識されていない。海上労働条約についてもILOで改正の提案がなされているが(9)、条約の性格上、船員の医療へのアクセスや勤務期間の制限の明確化といった船員の待遇の側面からのものとなっている。今後、IHRの改正について議論が進められていくとすれば、船舶の往来を認めるのみでは国際海運は実現しないことを前提として、運航する船員の交代に関する保健上の措置の範囲についても、IHRで対応しうる点を検討する必要がある。
おわりに
海上における国際的な往来はその性質上、各国による感染症拡大防止のための措置によって大きな影響を受けうる活動である。海運と感染症に関係する既存の主な国際的枠組みであるIHRは「国際交通及び取引に対する不要な阻害を回避」するという観点から、海上におけるものの移動も含めた国際交通への制限を、公衆衛生リスクに見合ったものに限定するための規則を定めている。海運をめぐっては入港拒否の問題がIHRの下での国際交通の実現と感染症対策のバランスに関する大きな問題としてあるが、問題はそれだけにとどまらない。本稿で検討したように、IHRあるいは関連する国際条約の下での整理が不十分な問題の存在が明らかとなっており、そのそれぞれについて国際的な合意に向けて議論を進めていく必要がある。
[脚注]
(1)石井由梨佳「国際保健行政と海運:世界保健機関(WHO)体制の意義と限界」グローバルヘルス・ガバナンス研究会ポリシーブリーフ「ポスト・コロナ時代の国際保健外交―日本の戦略を問う」日本国際交流センター(刊行予定)
(2)第201回国会衆議院予算委員会第三分科会議録1号37頁(令和2年2月25日、岡野正敬・外務省国際法局長答弁)。
(3)Report of the Review Committee on the Functioning of the International Health Regulations (2005) during the COVID-19 response, Doc. A74/9 Add.1, para. 98.
(4)一般社団法人The International Academic Forum「観光旅客船内における感染症の拡大の予防及び感染症が拡大した際の国際的な対応の在り方に関する調査・研究業務」報告書(日本語版)(2021年)18-19頁、瀬田真「感染症発生時における外国籍クルーズ船に対する内水沿岸国の対応 : 新たな制度の構築に向けて」『国際法外交雑誌』第120巻1・2号(2021年)126-127頁。
(5)IMO, Advice via Circular Letter for IMO Member States, Seafarers and Shipping, at https://www.imo.org/en/MediaCentre/HotTopics/Pages/C19CLs.aspx.
(6)IMO, Coronavirus (COVID-19) – Recommendations for Port and Coastal States on the Prompt Disembarkation of Seafarers for Medical Care Ashore during the COVID-19 pandemic, Circular Letter No.4204/Add.23.
(7)国土交通省「クルーズの再開に向けた安全対策について」(https://www.mlit.go.jp/maritime/maritime_tk2_000017.html)。
(8)IMO, Industry Recommended Framework of Protocols for Ensuring Safe Ship Crew Changes and Travel during the Coronavirus (COVID-19) Pandemic, Doc. MSC.1/Circ.1636/Rev.1.
(9)ILO, Fourth Meeting of the Special Tripartite Committee of the MLC, 2006, as amended – Part II, Proposals for amendment to the Code of the Maritime Labour Convention, 2006, as amended in accordance with Article XV, at https://www.ilo.org/global/standards/maritime-labour-convention/special-tripartite-committee/WCMS_827572/lang–en/index.htm.
[参考文献(引用文献の他に)]
- 兼原敦子「「パンデミック国際法」における海洋法 : ダイヤモンド・プリンセス号にかかる寄港国措置」『国際問題』No. 699(2021年)5-16頁。
- 河野真理子「海洋法における「人」の権利と利益の保護および規律 : コロナ禍における船員の保護を中心に」『国際法外交雑誌』第120巻1・2号(2021年)212-223頁。
- 西村弓「感染症流行下における船舶の航行と旗国の役割」『国際法外交雑誌』第120巻1・2号(2021年)110-119頁。
- 樋口恵佳「新型コロナウイルス感染症の流行により生じた船員交代の問題と日本の対応―2006年の海上労働条約の観点から」OPRI Perspectives No. 19 (2021)(https://www.spf.org/global-data/opri/perspectives/prsp_019_2021_higuchi.pdf)。
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西本健太郎「国際保健行政と海運:入港中の船舶に対する寄港国の権限と船員の交代問題」
ポリシーブリーフ「ポスト・コロナ時代の国際保健外交―日本の戦略を問う」は、当センターが東京大学未来ビジョン研究センターと共同で実施しているグローバルヘルス・ガバナンス研究会(GHG研究会)のメンバーが、今後のグローバルヘルスにおける日本の役割を考える上で検討が求められる課題の論点を整理し、問題を提起することを目的に執筆しているものです。なお、本研究会は、外務省の令和3年度外交・安全保障調査研究事業費補助金(総合事業)を得て実施しています。