活動報告
Vol. 2 新型コロナ感染症対策によって経済は停滞したのか?
カリフォルニア大学ロサンゼルス校 助教授 津川友介
世間では、しばしば「感染拡大防止と社会経済活動の両立」を模索するという言われ方がされている。果たして、両者は本当にトレードオフの関係にあるのか、本稿では、感染症対策と経済の関係について整理した上で、現在、学術的に直面している課題について議論したい。
アジアの感染状況とその決定要因
アジア諸国におけるCOVID-19による死者数は累計で874,198名、人口比では1万人当たり2.7人であり、他地域(欧州15人、北米16人)に比べてその影響が少ないとされている(1)。その要因については、BCGワクチン説や交差免疫説(COVID-19に似たより弱毒のウイルスへの既感染によってCOVID-19に感染した場合に重症化が防がれている)などの仮説が提唱されているものの、現在までに行われた研究によってこれらの仮説は否定されている。現在までに集積されているデータを元に、より妥当性の高い理由を検証した(2)。(なお、国によって死亡者数や感染者数についての定義が異なるため、国比較が難しいこと、ワクチン接種の進捗の違いや変異株が今度の感染パターンに与える影響は考慮していない点は留意が必要である。)
第一の要因として、アジアでは、感染者が少ない早期の段階(2020年初頭)から、公衆衛生的な措置(Non Pharmaceutical Intervention(NPI):ロックダウン、休校、ソーシャル・ディスタンス、マスクの着用)が継続的に取られてきたことが挙げられる。それに比して、欧州連合(EU)では、ようやく3月頃からNPIが取られ、加えて夏頃にその措置が緩和された(図1参照)。メディアなどでは、ロックダウンの効果を否定するような報道が出ることもあるが、あらゆる研究で実証的なデータが出されており、NPIの感染予防対策としての有効性は明らかである。
図1.EUと日本におけるソーシャル・ディスタンスの厳格さと感染者数及び死者数の変化
出典:Tsugawa, Y., Miyawaki, A., AEPR series No. 2021-1-1.
第二の要因として、アジアは島国が多いために、陸路で外国人が入ってくる陸続きの地域に比べると、水際対策の効果を発揮しやすいことを挙げられる。
第三の要因として、COVID-19は65歳以下で重症化する率は極めて少なく、日本を除き人口の年齢分布が若いアジアでは影響が少なかったと言える。65歳以上の人口比を見てみると、日本を外れ値とすると、10%以下の国々が圧倒的に多くを占める(図2参照)。
図2.2020年の世界の65歳以上の人口比(推計)
出典:Jarzebski et al., npj Urban Sustain 1, 2021(UN. Population Dynamics. World Population Dynamics. World Population Prospects 2019 Revisionに基づく推計)(3)
感染症対策の経済への影響
COVID-19の経済への影響としては、GDPで-4.5%、約430兆円以上の損失が出ていると推計されている。この数字は、20世紀に起こったスペイン風邪の時とほぼ同レベルであるが、メカニズムが異なるとされている。スペイン風邪の時は、労働集約型の産業構造であり、多くの人が亡くなったことで労働力人口が減少し、ものの供給量が減ったことでインフレが起こり、経済が悪化した。今回は、消費者が外に出ない、ものを買わないという需要の減少によるものとされている。しかし、それがロックダウンによる影響なのか、国を開けば経済が回復するのかは一概には言えない。加えて、COVID-19は全ての業種の経済活動を抑制しているわけではない。飲食業界や旅行産業等の対面で行うサービス産業は大きな影響を受けるが、オンラインビジネス、デリバリーサービス等の新しい産業も生まれており、そうした新しい産業への転換ができているか否かで経済力に差が出てくる。ロックダウンすると経済が全て止まるというのは単純化し過ぎた議論であり、感染リスクを高めずに経済を回していくという発想が重要となる。
日本では、実は緊急事態宣言発出前に感染者数が下がる傾向が見られ、メディア報道等で感染者数の上昇を知り、心理的な影響から外出を自主的に控えるといった行動変容が生まれ、感染者数の変動に寄与している可能性がある。感染症対策を強めた国ほど経済に悪影響を受けるのであれば、GDP成長率と感染者数は正相関になるはずであるが、実態は逆相関になっている(図3参照)。あくまで相関関係であり因果関係は分からないものの、感染症対策をすればするほど経済が悪化するというエビデンスはなく、むしろ感染症対策が経済対策になる可能性さえある。NPIを取らなかったスウェーデンを見てみると、感染者数は北欧の周辺国よりも当然多いが、経済損失も大差ない(図4参照)。その要因としては、高齢者が感染を恐れて自粛する、といった行動変容が見られる、他国同様に貿易による経済損失が起こっているといったことが考えられている。NPI対策をせず、死者が出て、加えて経済損失が起こるのであれば、スウェーデンの取った政策が妥当であったのか検討する余地があるだろう。実は感染症対策と経済の間にはトレードオフはなく、感染が拡大している状況においては、感染をコントロールしながらでなければ、経済を回すことはできないという可能性が示唆される(感染が上流、経済が下流にある)。
図3.2020年第2四半期における経済の衰退とCOVID-19による死者数
図4.2020年のGDP推移
失業率や倒産率が上がるといった実体経済への影響はこれから見えてくるが、現状、多くの国で、経済的な損失が想定された規模よりも小さい状況となっている。米国では、実体経済も追いつているとも言われており、このまま深刻な不況には陥ることはないのではとの楽観的な見方もある。経済・金融対策費を見ると、今までにない規模の経済刺激策が出され、その結果、経済が回り、去年の3月頃に株価の暴落が起こるとされていたが、その後、順調に値上がりしている。例えば、米国では特にIT業界を中心に経済状況は良くなっており、マクロでみると、経済状況はそれほど悪い状態ではないと言える。
既存の分析手法の限界と改善に向けて
医療経済学には、医療技術を医学的、経済的、社会的な側面などから総合的かつ包括的に評価する手法として医療技術評価(Health Technology Assessment:HTA)がある。しかし、残念ながら、今回のCOVID-19は、健康公衆衛生が経済に直接影響を与えている未曾有の事象であり、そのインパクトはHTAという分析手法を凌駕するものであった。例えば、COVID-19ワクチンの費用対効果を考えた時に、その影響は、COVID-19という疾病予防や重症化予防の観点だけではなく、人の移動や貿易等のマクロ経済上の影響を算入しなければ本当の意味での費用対効果を算出できない。しかし、HTAは方法論的に外部性のあるマクロ経済上の経済損失を計算に入れられず、生産性損失を過小評価していると考える。これまでの研究で、COVID-19ワクチンによって健康な寿命を1年(1 QALY)延ばすのに1人当たり約8200米ドルかかると言われている が(4)、これはかなりの過小評価ではないかと考える。NPIの費用対効果分析についても同様のことが言える。NPI導入と経済への影響に因果関係はないとしても、コストのかからないかつ感染予防効果が実証されているNPIが最も費用対効果の高い施策だったと学術的に実証することは現状難しい。
加えて、ワクチンの開発・普及に時間がかがることによる経済損失も考慮する必要がある。ワクチンの開発には通常は10年とされていたが(これまでで一番速く開発されたワクチンは流行性耳下腺炎ワクチンの4年)、COVID-19用のワクチンは1年以内といういまだかつてない速さで開発された。仮に開発に2年かかっていたら、経済損失がどれほど大きくなったのかを概算で考えてみると、健康へのインパクトは度外視して、経済的なリターンだけを考えても、経費削減に繋がっていると考えられる。しかし、HTAという既存の分析手法ではそうした経済効果までは分析に含めることが困難である。
COVID-19は、医療や公衆衛生への投資を減らし、感染症は医学(抗生剤、ワクチン等)でコントロールできると過信してきた、特に先進国への警鐘と言える。加えて、これまで医療と経済は切り離されてきたが、医療・公衆衛生によって下流の経済がグローバルなレベルでダメージを受けることが明らかになった。先進国では特に、医療費はコストとして見られてきたが、今後こうした感染症が頻繁に起こると言われており、経済対策や国防の観点からも感染症に関わる医療や公衆衛生にかかる費用を投資として捉え、公共政策としての対策のあり方を検討する必要がある。その際、研究分野を横断した知恵を結集し、マクロ経済への貢献を考慮した費用対効果の算出が可能になるようHTAの方法論等を改善し、科学がマクロな効果も踏まえた最適解としての施策を提案できるようになることが求められる。
[脚注]
(1)World Meterの新型コロナウイルスによる死者数と『世界の統計2000 』の2018年現在の人口数で計算。(2021年7月27日アクセス)
(2)Tsugawa, Y., Miyawaki, A., “Health and Public Health Implications of SARS/MARS/COVID-19 in Asian Countries.” JCER Working Paper. AEPR series No. 2021-1-1.(2021年7月27日アクセス)
(3)Jarzebski, M.P., Elmqvist, T., Gasparatos, A. et al. Ageing and population shrinking: implications for sustainability in the urban century. npj Urban Sustain 1, 17 (2021). (2021年7月27日アクセス)
(4)Kohli, M., Maschio, M. et al. The potential public health and economic value of a hypothetical COVID-19 vaccine in the United States: Use of cost-effectiveness modeling to inform vaccination prioritization. 2021 Feb 12;39(7):1157-1164. doi: 10.1016/j.vaccine.2020.12.078. Epub 2021 Jan 6. (2021年7月27日アクセス)
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津川友介「新型コロナ感染症対策によって経済は停滞したのか?」
ポリシーブリーフ「ポスト・コロナ時代の国際保健外交―日本の戦略を問う」は、当センターが東京大学未来ビジョン研究センターと共同で実施しているグローバルヘルス・ガバナンス研究会(GHG研究会)のメンバーが、今後のグローバルヘルスにおける日本の役割を考える上で検討が求められる課題の論点を整理し、問題を提起することを目的に執筆しているものです。なお、本研究会は、外務省の令和3年度外交・安全保障調査研究事業費補助金(総合事業)を得て実施しています。