お知らせ
日本国際交流センター(JCIE) ファウンダーの山本正(1936-2012年)は、1970年に民間独立の組織として当センターを創設し、日本における国際知的交流の先駆者として、生涯をかけて米国、アジア、ヨーロッパ、アフリカなど、日本と世界の橋渡し役として活躍いたしました。
2012年4月15日の山本の逝去に際し、各種メディアやブログなどに、長年ともに仕事をしてきた世界中の方々から、追悼の記事が発表されました。いくつかの記事をご紹介いたします。
【 国 内 】
- 「アジアのジャン・モネ― 山本正さんを悼む」PDF[126KB]
(朝日新聞2012年4月17日 船橋洋一前朝日新聞社主筆) - “REMEMBERING TADASHI YAMAMOTO: He was ‘Asia’s Jean Monnet'”PDF[89KB]
By Yoichi Funabashi/ Special to The Asahi Shimbun - 「山本正さんが求めたもの― 知的国際交流に支援を」PDF[139KB]
(毎日新聞 2012年5月9日「世界の鼓動」 田中均 日本総研国際戦略研究所理事長) - 「戦後日米関係の礎築く 山本 正さん」
(日本経済新聞 2012年6月15日(夕刊)「追想録」 春原剛編集委員) - 「「民間外交の顔」山本正さんの遺言」
(YOMIURI ONLINE 2012年9月13日 「今を読む」 調査研究本部 池村俊郎氏) - 「山本正氏を悼む」PDF[635KB]
(『外交』 Vol.14 2012年7月)
「民間国際交流の先駆け、山本正氏を想う」 玄葉光一郎外務大臣
「山本正さんの思い出」 ジェラルド・カーティス コロンビア大学教授
「山本正さんのチャレンジ精神」 武見敬三 日本国際交流センターシニア・フェロー
- 「国際関係を取り結ぶのは「人」。民間交流の先駆者、山本正・JCIE理事長の衣鉢を継ぐのは誰か」
(『現代ビジネス』 2012年4月24日 塩崎恭久衆議院議員) - 「山本正さんと吉武輝子さん 2人のバトンを引き継がなくては」PDF[130KB]
(『週刊金曜日』 2012年4月27日/5月7日合併号 辻元清美衆議院議員) - 「山本正氏のご逝去を悼む」PDF[345KB]
(『公益法人』 2012年5月号 公益法人協会太田達男理事長)
【 海 外 】
- “Honoring Tadashi Yamamoto”PDF[117KB]
(山本正を讃えて)
(米国連邦下院議会議事録 2012年4月17日 ダイアナ・デゲット下院議員による提出) - 「日韓の文化交流 故人の貢献胸に充実を」PDF[91KB]
(朝日新聞 2012年5月12日「私の視点」 鄭求宗 韓日フォーラム代表幹事・韓日文化交流会議委員長) - “End of an Era: Yamamoto, Top ‘America Hand’ Dies at 76”
(ひとつの時代の終焉:最高の”米国通” ヤマモト 76歳で亡くなる)
(ウォールストリート・ジャーナル ジャパン 2012年4月16日) - “Obituary-Tadashi Yamamoto”PDF[158KB](訃報 山本 正)
(英医学誌「ランセット」 2012年5月19日) - “Remembering Tadashi Yamamoto”(山本正を悼む)
(外交問題評議会(CFR) 公式ブログ エヴァン・ファイゲンバウムCFR上級研究員) - “In Appreciation of Philanthropic Visionary Tadashi Yamamoto”(フィランソロピーの先達 山本正を讃えて)
(アジア財団公式ブログ バーネット・バロン Give2Asia理事長、前アジア財団副理事長) - “EWC Mourns Passing of Board Member Tadashi Yamamoto”
(イースト・ウェスト・センター理事 山本正を悼む)
山 本 正
1936年(昭和11年)生まれ。1964年に故小坂徳三郎氏(信越化学社長)のもとで、日米の財界人の民間交流を開始し、小坂氏の衆議院議員転出に伴い独立、1970年に日本国際交流センターを設立した。以来、日本における民間の国際交流のパイオニアとして数々の事業を推進し、下田会議、日米議員交流、三極委員会など、戦後日本の国際化を進める知的交流プログラムを推進したほか、90年代末からは「人間の安全保障」概念の普及と、地球規模課題における日本の国際的役割の強化にも尽力した。また、独立・民間の非営利組織としての立場を貫き、日本の民間財団やNPO/NGOなど非営利セクターの強化や国際化を支援した。欧米、アジアの政財界、官界、学界、財団界、NPO界などに広汎な人脈を築き、日本と海外をつなぐ架け橋となってきた。
三極委員会(トライラテラル・コミッション)アジア太平洋ディレクター、 日英21世紀委員会ディレクター、 日独フォーラム幹事委員、 日韓フォーラム代表幹事、 世界基金支援日本委員会ディレクター、 「21世紀日本の構想」総理懇談会幹事委員(1999年)などを歴任。上智大学を経て、米国セント・ノーバート大学卒業、マーケット大学院より経営学修士号取得。2012年4月15日死去、享年76歳。
受章・受賞歴
2011年 旭日中綬章
2004年 第3回井植記念アジア太平洋文化賞
2003年 オーストラリア政府よりオーストラリア名誉勲章(AO)
1998年 英国政府より大英勲章(C.B.E.)
1990年 ドイツ連邦政府よりドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章